朝日新聞の記事で興味深い記事がありました。
認知症のニュースでよく聞く「徘徊」という単語について。
「徘徊」と聞いて良いイメージを思い浮かべる方はいないと思いますが、この呼び方を辞めて欲しいという認知症と診断されている方からの声が多かったのか、朝日新聞では今後「徘徊」という言葉は使わないようにしていくそうですね。
このページのもくじ
「徘徊」も差別用語に?「徘徊」の単語を使わないようにする動き。
徘徊とは?
上記記事にも意味が書いていましたが、「あてもなく歩き回ること。うろうろと歩き回ること。」です。
グーグルの検索結果にも表示されますね。
徘徊=マイナスイメージ⇒認知症の人たちは困った人たち
認知症じゃなくても何か目的があって歩き回る事はあると思いますが、認知症の方たちは目的も無く歩き回っている…とそういう風に思われるのは嫌だ、という話ですかね。
記事に登場している方も散歩という目的を持って外出したそうですし。
個人的には目的がどうこうはどうでもよくて、道が分からなかった…の部分の方がまずいのではないか…と思ってしまいましたが。
何故この記事が目に留まったかと言うと、実は僕の(もう亡くなったんですが)祖父が認知症と診断されており、徘徊を何度も繰り返していたんですよね。
だから分かるんですが、確かにうちの祖父は目的を持って徘徊していたんです。
徘徊パターン
うちの祖父の場合、「家に帰るつもりで外出した」と言ってました。
自宅に帰る目的の為に自宅から外に出て、道が分からずウロウロしていたら保護された
と、こういうわけです。
おかしいじゃないですか(笑)
でも真面目な顔でこんな主張をして、家はここでしょと言ってもそうだっけ?とあまり納得していない祖父を見て痴呆ってこういう事なんだ、と納得した記憶があります。
徘徊すると迷惑なの?
以前は認知症も痴呆症と呼ばれていましたね。
今回徘徊が問題視されたのも、元をたどれば認知症と診断されている方が傷つくから、だと思います。
マイナスイメージな言葉だから徘徊していたといわれると、迷惑をかけた困った人ってイメージに繋がるそれがつらい。
言いたい気持ちはよく分かります。
誰だって迷惑をかける人ってイメージされるのは嫌ですよね。
ただ、前述の通り僕は一応曲がりなりにも認知症介護の経験があるわけですが、徘徊するようになってしまった高齢者の介護の負担って相当な物です。
正直な話すると、小さいころから可愛がってくれたお爺ちゃんだから、という気持ちが無かったらとてもできるもんじゃなかったです。
孫でこれだから父や母の負担はもっととんでもなかったと思います。
なので、本音を言ってしまうと、
- 迷惑な困った人
なんて言葉すら生ぬるいほどです。
また、確かにショックで嫌なんでしょうし自分がいずれこう言われる未来を想像するとつらいんですが、介護してる家族にとってはどんどん自分の事を忘れて行っているのを見るのもショックでつらいんですよね…。
どっちが傷つくのかと言われたら介護している家族の方がきついんじゃいかなかぁと。
まぁ傷つき度が低いだろうから我慢しなさいよ、とまでは言うつもりは無いんですが、迷惑をかけてしまう、家族はそれで困ってしまう、というのは残念ながら事実なんです。
少なくとも僕はそう思います。
言葉を変えると何が変わる
このように「徘徊」は多少なり誰かに迷惑をかけてしまう事は事実であるとして考えてみると、言葉を変える事に何の意味があるのか?と思ってしまいます。
散歩でも良いし、迷子でも良いし、道に迷ったでも候補はいくらでもあります。
「徘徊」が嫌なら「迷子」ダメかもしれませんが、傷つけないワードはたくさんあるでしょう。
ただ「徘徊」というおおよそマイナスイメージを持たれるであろうワードが功を奏している面だってあると思うんです。
- 父が徘徊したので探してください
だと、緊急性高そうに感じませんか?
普通に考えると認知症の方が「徘徊」しているわけで、認知症の場合は道が分からないならまだしも、そこは通ったらダメという事も分からない場合があります。
大通りの真ん中を高齢者がフラフラ歩いていた、赤信号なのに飛び出てきた、そしてはねられた、みたいなニュースは連日のように報道されていますが、こういう事件って全員不幸になるじゃないですか。
亡くなってしまう本人はもちろん被害者家族は家族を亡くすわけです。
また加害者である轢いた人ですら法律上アウトではあるんですが、そんなとこ普通は歩かないよね…と同情してしまう事も珍しくありません。
こんな感じで危機感を覚えるためにはむしろ使用すべきではないのかな、と思うわけです。
散歩している、道に迷っているもいつかは徘徊に近いイメージを持つようになるかもしれませんが、現時点では全くそんな印象を受けません。
仮にこのようなイメージを多数の人が持つようになればまたワードを変更するのでしょうか。
まとめ
例えばチョンという差別用語があります。
あれは元々の意味が「取るに足らない者」なので、それを特定の国籍を持つ方に対して表現するのはどう考えても侮辱ですよね。
僕自身嫌韓派ではあるのですが、これはどう考えてもダメだと思ってます。
他にもトルコ風呂(知らない人は検索してください)はトルコ人が見たらそりゃ不快だと思います。
差別って難しいですよね。
実際本人が嫌って言ってるならそれは差別ととっても良いでしょうし、こういう発想自体逆差別って意見も凄く納得できます。
なので時代の流れに沿って言葉を変えていくのは必要なのかもしれないんですが、この「徘徊」に関してはいまいち共感できませんでした。


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